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シゴトバCAMPUS VOL.8

シゴトバCAMPUS VOL.8の写真

シゴトバTALK  VOL8.

「カリスマバイヤーが教える

 トレンドの読み方と見つけ方」

今回のゲストはファッション業界で若いデザイナーの才能をいち早く発掘する事で有名なカリスマバイヤー泉英一さん。
ナウンルック(現ルック)で数々のブランドのディストリビューションを手掛け、若手デザイナーを日本でいち早く紹介したことで知られています。2013年に独立し、東京・渋谷にあるコミュニティストアDESPERADOのショップオーナー兼バイヤーとして活躍されています。

IZUMI EIICHI / 株式会社パノラマ代表取締兼バイヤー

 

泉 英一

1981年 株式会社レナウンルック(現株式会社ルック)入社

2000年 セレクトショップ『DESPERADO』をオープン

2013年 株式会社パノラマ設立

DESPERADO

http://www.desperadoweb.net/

 

 

ー「”どれだけ数を見て来たか”というところから選ぶしかない

 

 

―バイヤーって何?クリエイティブディレクターとは?

 

天 一番最初にお会いしたのがNYでしたね。

 

泉 そうですね。NYが一番良かったときですね。ロンドンが面白くなくなってNYに拠点を置いて仕事をしていたときでしたから12年前になりますか。

 

天 CIBONEにいるときに、カリスマバイヤーおるで!みたいに聞いてエクストリームオリジンというかっこいいNYのギフトショーいってある方からご紹介いただいたいんですよね。

 

泉 そうですね。年齢不詳、住所不定、国籍不明、みたいなかんじでやっております。

 

天 まず泉さんの職業としてバイヤーとクリエイティブディレクターって書いてあるんですけど、それぞれどういう分け方をされているんですか?

 

泉 バイヤーってのは店舗なり卸なり、仕入れてくる人間。
カリスマかどうかは自分で言ったこともないですしその中に入れていただくのもおこがましいし、恥ずかしい思いなんですけどバイヤーってのは素晴らしい人でも何でもないですよ。

 

一方でクリエイティブディレクターってのは完全に組織の右脳ですね。それをアウトプットできる人として考えています。ですので自分はそのようにポジションを分けて二足のわらじを履いて仕事をしています。これは別々のことをやってるんですね。

 

天 全く別のことを兼任していると。企画・営業のような。

 

泉 はい。例えば店舗の場合、「店長」というポジションがあると思いますし、副店長というか、店舗の中にもう一人「バイヤー」という人がいます。つまり、バイヤーのポジショニングというのは、店長より下。一般的には上のようなイメージがあるけど、自分の中では店長より下の職種だと思っております。

 

この日本ていうのはね、いわゆる横文字になると、急にその職業が人気が出るということですが、私が仕事を始めたときにはそんな言葉はなかったですよ(笑)
一方でクリエイティブディレクターというのは店の方向性を決めるポジションです。

 

こと「仕入れ」ということであれば店長の指示に従いますし、今は一人二役での会話になりますね。クリエイティブディレクターとなると2年、3年先を見越しての考え方になりますし、難しいんですけど、常に自分との葛藤になります。

 

あとバイヤーってのは睡眠時間は非常に少ないですし、過酷な仕事です。華やかに見えますが(笑)。だいたい朝から夜の終電までモノを見て、ピックをして写真をとって、下手すれば始発に間に合うような時間まで仕事をする期間が約1ヶ月半。レディース、メンズを兼任すると3ヶ月。

 

天 何年ぐらいそれを??

 

泉 僕は15年ぐらい。実は(バイヤーのスタートは)遅いんです。卸を中心にクリエイティブディレクター的な仕事をしていたので・・・

 

天 バイヤーって目利きやから、3年後、4年後を読む意識でされてるんですか?

 

泉 バイヤーってのは半年読めればできる仕事だと思いますね。一方でクリエイティブディレクターってのは3年見れる力がないとできませんね。私もいつまでできるか。歳が55になりましたけど(笑)

 

天 現役バリバリですね・・

 

泉 いやいや、体力気力、感性面ですね。先読みというか、先を読んでいくわけですね。まず今日のことを考えて、それができれば明日、明日のこと、明後日のこと、いきなり1年後とかのことを読めないんで、そこまでできるようになると、クリエイティブディレクターになれる。

 

クリエイティブディレクターってのは組織の右脳にいて、アウトプットすることができる人。自分はそのようにポジションを分けていますね。バイヤーはそろばんをはじかないといけないから、大局的な部分もありますね。

 

 

―どのようにバイヤーに!?

 

天 今までやってこられたことを、生い立ちを交えて伺いたいと思うのですが、もともとお洋服がお好きでらしたんですか?

 

泉 そうですね。もう小さい頃から。小学校1・2年生ぐらいからでしょうか。
私は昭和33年生まれ(現55歳)なんですが。

 

新幹線もない時代ですから昭和40年代、東京まで行くのは「夜行列車」っていう時代でした。小学生の頃はカラダが小さいんですし、親に連れられて服を買ってもらうっていうものでしたね。その中で選ぶという・・・

 

天 あ、その時から選んでらしたんですね。

 

泉 そうですね。当時はカラダも小さいですから「jun」とか「VAN」とか・・・

 

天 え?「VAN」(笑)??

 

泉 うん、「VAN mini」ですね。「VAN」は着れなかったですね。

 

天 そりゃそうですね(笑)え、え?その時代で「VAN」着てたんですか(笑)??お父さんお母さんは・・・

 

泉 特に母が好きでしたね。当時は海外ブランドってほとんど入ってきてなかったんですけど、まぁそういうジャンパトゥとか、いわゆるオートクチュールに近い服とかですね。「バレンティノ・ガラヴァーニ」だとか今ほど有名でない「ルイ・ヴィトン」とか。ですので、小学校4年ぐらいからは夜行乗って東京行って
天 え?小学生で夜行で東京にいったんですか!?

 

泉 確か10歳ぐらいです。5年ぐらいかな。

 

天 え!?それお父さんお母さん許されるんですか?

 

泉 もう仕方ないですよね(笑)

 

天 小学校5年で東京ですかぁ・・・

 

泉 まぁ当時はませガキでもないですし、情報も少ないですし、寝台車のっていくわけで・・・。夜行ですからら朝着くって感じですか。上野なのか東京なのか、着いて今のアルタの裏にあるアドホックビルっていうのがインポートであったので・・・。

 

天 色々びっくりしてるんですが、どういう情報で行ったんですか?

 

泉 歩き回ったんですね、はい。高校1年生のときは、自分でもおかしいんですけど「Cartier」の時計をしていましたね。

 

天 えっ?(笑)それ友達同士で浮いてませんでした?(笑)話合わないんじゃないですか?

 

泉 まぁまぁ、そういう友達もあれでしたね。あと、スニーカーも変わってましたね。当時は1ドル360円ですからね。運動会になると勝ちたいですから良いスニーカーがほしいんですね。当時は上履きというか運動靴で一般的なのが800円ぐらいだったんですよ。確か「月星パンサー」ってのが1200円〜1500円ぐらい。
で、コンバースは12000円ぐらい。それが欲しくってね(笑)

 

天 コンバースは・・・重たいから走りづらくないですか(笑)

 

泉 とにかく欲しくって(笑)まぁ39ドルとかだったと思うんですけど海外では、当時は履いてましたね。大学入ると何の情報もなくアメリカ行って、それこそ「Tiffany」とか。まぁ「Barneys」とかってものを見て、NYからサンフランシスコまでファッションの旅なんてのもしましたし。

 

天 もう根っから好きっていうか(笑)

 

泉 もうね。

 

天 じゃあ仕事もアパレルに就きたいってのがあったんですか?

 

泉 もう思ってました。

 

天 それはバイヤーということですか?それともデザイナー??

 

泉 まぁデザインの方が好きでしたし絵を描く事は好きだったんですが、絵では飯は食えんということでまずは株式会社ルック(当時は株式会社レナウンルック)という会社に就きまして。そこで営業ということからはいりました。営業と言っても埼玉県の担当で卸をして、いわゆる大手百貨店のミセスのブランドでしたね。当時は22歳でしたけど、お客様は50代でした。

 

天 同じアパレルでも泉さんが好きやったものと、違ったんじゃないですか?フラストレーション溜まったり・・・。

 

泉 そうですね、違いましたね。ものすごいありましたけど、その中にも企画にモノを言わせて出来るだけ自分が売りたいものを作ってもらってましたね。でもまぁ生意気な新入社員だということで、倉庫に「泉立ち入り禁止!」なんて張り紙かかれたり、ぶん殴られたり(笑)

 

天 ハハハ(笑)

 

泉 変わったことばっかりしてるもんですから、上の者から違うとこやってみってことで「ブティック事業部」へ異動になりました。

 

そっからは自分で仕入れ、卸の商品を選んでくるようになってましたね。ただ当時は海外つっても会社はお金を出してくれませんでしたから自費で海外行ってました。新婚旅行も兼ねて(笑)

 

天 新婚旅行で!?

 

泉 嫁さんには好きな所へ行ってもらって。ミラノに行こうがパリに行こうが別行動でしたね。

 

天 え!?新婚旅行ですよね!?

 

泉 そうですね。当時携帯電話もなにも無い時代ですから、その日の朝に「何時に会おう」って決めて。そんな感じでやってましたね。そこで買い付けて帰ってきたら、「勝手に買って来た」ってなっちゃって・・・

 

天 なっちゃって(笑)

 

泉 商品を並べて売って行こうとしたら上から目付けられまして、怒られまして全部焼却に送られたり・・・。

 

天 え?新婚旅行で行って買ってきたのに・・・。

 

泉 はい、全部だめでしたね・・・。でもまぁしつこく目を盗んではやっているうちに、お客さんは求めているわけですよね。

 

当時のBeamsさんだったりSHIPSさんだったり。ほんとに小ちゃいときですよね。そういう所のバイヤーさんが「売ってくれ」と。売れてくると会社も止めろと言えなくなってきましてね。続けているときドリス・バンノッテンというブランドに出会いましてね。日本の雑誌で“これくらい(切手くらい)”の写真を見て。

 

天 これや!!って?

 

泉 そうですね。28歳の時でしたね。まだコレクションは2~3シーズン目だったと思います。その頃は彼も展示会やるってことで日本に来たわけでしたけどセーターも破れてましたし、毎日恵比寿でラーメン食べてましたね。

 

また当時は全然売れなかったんです。もうしょうがないから、自分がいわゆるサムソナイトの一番大きいスーツケースにサンプルなり商品を詰めて、全国歩き回りましたですね。

 

で、やってるうちに3年ぐらいですかね。スタイリストの祐真(すけだね)さん、がまだお若いころでしたが、ポパイに載せたところブレイクしまして。まぁ売れるまで「こんなの売れるの?」って言われましたけど、「今は売れないでしょうけど、3年後売れるんじゃないですか?」って言ってたら3年後、そのバイヤーさんが私の元に来られましたね。まぁそんな感じですね。

 

天 ん〜切手ぐらいの大きさの「ドリス・バンノッテン」みたときにビビッとくるんですか?

 

泉 そうですね、第六感みたいな話になるんですけどね・・・自分の場合はトレンドっていうか、トレンドの周期っていうか、自分の中ではなんだか振り子のようなイメージがありましたね。

 

当時は「Paul Smith」とか「Chester Barrie」とかリアルクロージング、いわゆる固いトラッドですよね。売れてたのはそっちなんですけど、僕はそっちには行かないぞ、って思ったんですよね。

 

そういう所に「ドリス・バンノッテン」と出会い、アンコントラステッド(非構築)っていうね。そういうブランドの代表格として。いわゆるグランジー、アースカラーで構築的じゃない服の方に触れて来たのが3年後でしたね。

 

そしたら一気に自分がスターのような、追い回されるという経験をしましたよね。
それまでは自分がストーカーのように「見て下さい」「見て下さい」ってしてましたですね。そういう意味では孤独であり、上げられたり下げられたりっていう経験をしましたね。自分がそういうブランドをあててしまうと、チヤホヤされて、全然関係のない人迄も群がってきますし、逆に自分が外すとクモの子一匹いなくなるというものですね。

 

天 特に会社に所属していると「何故売れている方をやらないんだ?」ってなりますし、やはり結果がすぐに求められる中で「3年待ってくれ」というのはなかなかできるもんじゃないですよね。

 

泉 まぁそうですね。だから本当にそういうのは後輩に売れるブランドはお前たちでやってくれと、俺はこれを売る!っていう感じでやってましたね。7年ですかね。

 

天 体力・精神力が半端ないですね。

 

泉 そうですね。だからカリスマなど言われても喜んだことはないですね。次はどうなるかわかりませんから。

 

天 ドリス・バンノッテンってどうやって生まれたんですかね。

 

泉 ベルギーで、王立のファッションデザイン学校を作ろうという流れがあって、世界的に優秀な人を集めて、しかも無償で。その中にドリス・バンノッテンだったり、6人集、7人集だったりってのが入ってきたんです。確か第二期生か三期生がドリス・バンノッテンってんだったんです。まぁ日本人でもここ最近ではファション学校に行く方が多いですよね。まぁ行くような有名所でいくとNYのFIT、ロンドンのセンドマーチン、と匹敵するような学校になったんです。

 

泉 グランジロックというスタイルはそもそもシアトル出身のミュージシャンがしていたファッションですね。

 

天 簡単にいうと?

 

泉 ロックパンク、ヒッピーのような流れですね。一気にその流れが来たものですから、それを見てまずいぞと思ったのも私だったんです。

 

天 ご自身で流れを作っていながら?

 

泉 そうですね。その対抗軸というのがエレガンスだったんです。エレガンスでも徹底的にエレガンスを見ましたね。いわゆるオートクチュールに近いものを見たんです。ただそれは使えなかったですね。これはうちの母が着る服だと。だからそっち(グランジ系)に振れてもこっち(オートクチュール)に若い人が来ることはないなぁと思ったんです。

 

無いと思って探し続けていたときに出会ったのが「CHRISTOPHE LEMAIRE(クリストフ ルメール)」だったんです。それがまたこれ全然売れない(笑)みんなそれはいいから「ドリス・バンノッテン」売って!って。ところが3年ぐらい経つとぶわ~って。やってるときは3年しか無理ですね。

 

天 やってるときって「自分早すぎるんちゃう?」って思うんですか?

 

泉 ん〜、3年が限界ですよ。

 

天 誰がやっても3年ってことじゃないでしょ?泉さんが頑張って頑張ってようやく3年っていうものなんじゃないんですか?

 

泉 いやぁ、僕が売り歩いたり、頑張るからっていうよりも、時代がそっちに付いてきちゃうんじゃないですか?その振り子のように。一人の人間がどんなに影響力があってもそれはこっちに持ってくるってのは難しいですよ。僕はそう思ってますね。だから当時は3年に一度噴火するって言われてましたね。「Moncler(モンクレール)」や「MACKINTOSH PHILOSOPHY」もそう。

 

天 モンクレールも?

 

泉 モンクレールもフランスメイドのフランス人がやっていた時は僕がやってました。

 

天 そうなんですか!?今もう凄いですよね?

 

泉 売りに来たんです。会社ごと買ってくれって。でも当時はやっぱりダウンは冬のもんだと思われていましたし、ファションとしては難しかったんです。卸としてはずいぶん売ってたんだけど。

 

で、お断りしたらイタリアの会社が買ったんですが今のカタチになりましたね。ですから今のモンクレールと当時のモンクレールは規格も何もかも違いますね。当時は高級ダウンというよりも、北極とかアラスカとかにいくアウトドアウェアでしたからね。

 

天 当時、泉さんはモンクレールを見てファッションとして見ていたんですか?機能性とファッション性というか。

 

泉 そうですね。機能性もあって、色も綺麗で。

 

天 その情報はどっから仕入れてくるんですか?海外で来ている人を見てとか、ネットでスナップショットを見てとか。

 

泉 いやぁ、本当にお恥ずかしい話なんですが未だにネットを見たくないんですね。情報は取らないようにしています。圧倒的に自分が動いて仕入れるようにしています。というか自分の中に目の中に入って来た、ぶつかったもので勝負していくカタチにこだわってます。

 

天 それは動き回って?

 

泉 もちろん、自分が動き回って探します。

 

天 座ってられないというか?

 

泉 どこ行っても歩く。今日ここ7時集合って言ったって、どこか経由して来るっていう事をやってるだけですね。

 

あの、例えば本屋さんいって、ネットで検索して、どういうストーリーかを知って、買いに行く人がほとんどだと思うんですよね。映画を見るときもどんな映画がやってて、あらすじがどうでっていう、そういう事をやったことないですね。

 

目の前にぶつかったもので行動した方が感動も良いも悪いもはっきりしますから。最初からストーリーが見えてるってことはした事がないです。

 

天 あぁ、なるほどね〜。固定概念を無くす意味でもね。検索とかは?

 

泉 検索したことないんです(笑)大きな本屋さん行くとあれって、一生かかっても読めないだろうなって思うんですよ。

 

天 絶対無理ですね。

 

泉 よっぽど本好きな方でも。だから僕の場合目に入ってきたものを手に取ってすぐレジに行きますね。その後「しょ〜もな!」とか(笑)自分の頭で考えたものを評価するようにしてます。そこがセレクトした時から差になるんです。

 

 

―「選ぶ」という責任

 

天 (スクリーンを見ながら)どこかでこの言葉を見たことがあるんですが・・・

 

泉 そうですね。「どれだけ数を見て来たか」というところから選ぶしかないと考えています。よく年取ったら「量より質やで」って言われますが、まぁ年取った証拠かなぁなんて思ってます。ただ、やはり圧倒的に量が必要なんです。言っちゃ悪いですが、サラリーマンで限られた時間の中で見るっていうのはなかなか難しいと思いますね。会議・雑用・色々ありますよね。

 

本当に“一日二万歩”歩いてるバイヤーなんてのはほとんどいないんじゃないでしょうか。もしあれでしたら机の中みてもらえれば(笑)なので見てきた量で勝負だって思ってます。モノを見てないのに質やっていう話になると、結局今のネットのように、「良い」と書かれているものの中から選ぶことに、結果的になってしまうんですよ。

 

天 なるほど~

 

泉 だから大手のセレクトショップさんの中でもブランドってだいたい同じになりがちじゃないですか。

 

天 確かに。

 

泉 あれはね、一人の人間が出て来ないですよね。っていうのは自分自身の意思、意思にも志と想いというのが乗りうつった店にしていきたいと思いますね。
だからその責任というのもスタイリングだけで売って行く場合と、単品の集積で売っていく場合がありますね。

 

デスペラードってお越しいただいたら分かると思いますが、全く“ボディー(スタイル提案)”がないんですよね。昨今のファストファッションっていうのはスタイリングでMDされてるんで、上から下、バッグまで入れて“●●円”っていう売り方でしょ。僕はそういう打ち出しってのはしないんです。というか提案しないやりかた。スタイリングはあなた自身でしてくださいっていうことなんです。
天 パーツを売ってるんですか?

 

泉 そうです。お弁当で例えるなら、僕は総菜を売ってる感じですね。タッパーを渡して、自分で弁当を作ってくれっていうスタイルです。そうすると、きっと一人一人違うものになるんですよ。僕はインゲン入れてるのにある人はこんにゃく入れてたり。同じテーブルで見たときに、「いんげん美味しそうやね」とか「こんにゃくもいいよね」っていう評価が生まれることを大事にしてます。つまり、「何を拾っても美味しい」って思ってもらえる所に責任を持っています。当たり外れがないようにしているつもりです。

 

天 お客さん付いてきます?自身で選べるというか。

 

泉 その場合は何なりとスタッフがサポートします。聞かれれば。でもそのまま全身っていう提案をすることはないです。

 

 

―トレンドを読み取る

 

天 トレンドってさっきの話にもありましたが3年ぐらいの振り幅があって、これ簡単に分かるもんなんでかね?

 

泉 そうですねぇ・・・。

 

天 さっきの話であれば数を見ないと見えてこないのかなぁと思うんですが。

 

泉 今の時代いろんな所にトレンドがあって、それぞれの地域でもありますし、トレンドというよりも文化的に違うことの方が大きくて、今の社会を見て、自分がどの立ち位置にいたいかという部分の方が大きいんですよね。それを伝えていけるかどうか。つまり伝えていくっていうのはモノを仕入れてただ売るってのではなくて、どうやってレイアウトして、ディスプレイして見せていくっていうのがまた販売員はどのような切り口で説明していくのか。全てなんですよね。

 

天 よくあるのが、バイヤーが買い付けてきても販売員がそのバイヤーの思いとか熱が伝わってなくて結果的に売れないなんてことありませんか?

 

泉 よくありますね(笑)

 

天 高いものとか、こだわったものってあるじゃないですか。それをどう伝えていったらいいんでしょうかね?

 

泉 毎日の会話ですね。スタッフが今風邪気味であるとか、全部熟知していることですかね。なんでも話せる仲というか。

 

天 よくあるのが大きい店だとバイヤーと販売側が仲悪いというか「またこんなん仕入れてきて・・・」みたいな声を聞く事あるじゃないですか・・・

 

泉 ありますあります。

 

天 MDはMDで「力ないから売れへんねんや!」みたいなね。

 

泉 昔は大きなことは良いことだったと思うんですが、今でももちろん大きなことは良いことである部分はあるんですが、そうじゃなくなってきていることもあるんじゃないですかね。組織っていうのは個人を殺していってしまいますね。
スポーツでもアートでも何でも個を殺してしまっては何にもなりませんからね。だからそこは大切にしていますね。

 

 

―日本と海外の違い

 

天 簡単に言っちゃってますが、海外のほとんどをもう泉さんはね・・・。

 

泉 日本は生産面、縫製面、十分海外で通用するというか、レベルが高いと思うんです。ただクリエーションといいますかね、プロダクトアウトとマーケットインというのが今デフレ一方なので、クリエーションというものが落ちていってるんですね。

 

日本人の気質という似たもん同士が、類は友を呼ぶというますかありますよね。
正確には、「そこにいるために似せてる」という面があると思うんですよね。
つまり一人になったときの正確や意見というのは違うんですけど、そこに群がる、合わせることが日本にはりますよね。

 

海外にはそれはないように思います。なんか属していることに対して個を殺すという流れがあるように思ってしまいますね。だから洋服に対しても、ファッションというのは生活必需品ではないんですよね。

 

衣料は別ですよ。マイナス5℃の所でTシャツ1枚ではいられないわけですから。ファッションというのは生活に潤いを与えるようなものなんですが、何気なく買っている服に、一目を気にした服であるっていう所があるんですよね。自分の好みを買ったことが無い人っているんですよ。不思議なことなんですけど。

 

天 それってお客さんもいっぱいトライしないといけないんですかね?

 

泉 そうですね、色々トライしてみるっていうのも必要ですし、何より「どうなりたい」っていう意思が必要だと思いますね。変な話、彼氏がどう思うかとか、親がどうだとか、そういう思いで買っているケースが多いように思いますね。(どれが良いという訳ではないが)海外には「これやめとき!」って言って止めても買いますからね(笑)

 

天 なるほど!

 

 

―理想のバイヤーとは

 

天 泉さんにとって理想のバイヤーってなんですかね?近づいてます?

 

泉 ルックという会社をやめて、その会社をやめた時点からやりたいことをやっていこうと決めていますし。デスペラードもそうでした。逆にやってきたことにあまり興味はないんです。やってないことに挑戦してみたいですね。

 

天 どれぐらいあります?やってないことって。

 

泉 たくさんありますね。

 

天 それをやろうと思うと何年かかるんですか?

 

泉 10年かかりますね。

 

天 おーーー

 

泉 でもその10年が僕にはないんです。3年でやらないと間に合わないですね。やっぱり若いときには時間がある。でも歳を取ると時間がないというのが若いときとの感覚の違いですね。

 

天 歳取ると余裕が出てくるっていうじゃないですか。体力も落ちて来たし、ゆっくり行こみたいな。逆ですか?

 

泉 逆ですね。3年でやらなあかんですね。ファッションってやっぱり基本的にはスピードだと思いますね。で、そのスピードについていかないといけませんよね。そのスピードを高めていくためにどうしていくのか、組織論にしてもまずそこを考えますね。普通は社員上に中間管理職があって、経営者がいるという下から上の流れですが、それだとなかなかスピーディに動かないんですよね。

 

全く逆で、お客さんと接する販売員が一番上にいて、そこから管理職、経営者っていう仕組みだとジョーゴのようにすぐにおりてきますよね。だからスピードを求めていくってことなんです。つまりこうするためには、さっきも言いましたが「先読み」なんですよね。どれだけ先が見れるかということです。視力1.0の人は2.0にするってことですね。

 

天 ん~!!

 

泉 F1レーサーみたいな人ってのは運動神経もずば抜けて素晴らしいと思うんですね。じゃないとあの時速200kmを超える世界でコーナーを曲がっていけないんですよ。

 

でもあそこに運動神経だけじゃなくって、目が良いってことですよね。メガネのドライバーっていないはずですよ。みなさんF1レーサーじゃないんですが普通の車でもまっすぐみていて、どこを見ていて運転しているかって大事ですよね。目の前の車だけ見ていてブレーキ踏む人ってのは危なくて仕方ないですよね。急にブレーキ踏まれたらぶつかりますから。どれだけ予期しているかということが大事なんです。

 

野球であれば18m先から時速150kmでボールを投げられたら投げた瞬間ミットに入るようなものですよ。バレーボールだって、スパイクが打たれた瞬間に地面にボールが落ちますよね。予知能力とでも言いますか。

 

天 感覚・・・そう感覚ですよね。それはどうやって鍛えたらいいと思いますか?

 

泉 有言実行ですね。日本人は「言わないのが美徳」とかって思われる風潮がありますが、それは間違いだと思います。だったら後から「思ってた」って言えばいいですよね。こう思うっていうのを明確にしていく。ただ人に言われるのはキツいですよ(笑)やらなきゃ良かったって本当に思いますから(笑)

 

天 泉さん、今何勝何敗ぐらいですか?

 

泉 ん~、失敗の方が多いでしょ。やっぱりその、挑戦無くして成功はないわけですから。その中でも大きな失敗にならなければいいと思いますし、このぐらいの挑戦でこのぐらいの失敗だと思える範囲ものであればバイイングの中でもやらせてますよ。「それ選んだらえらいことになるよ」って思っても1枚ぐらいはいいかなと。

 

今の若い人たちってのは失敗はしちゃだめだっていう教育、これは挑戦をするなって言われてるのと同じですからね。挑戦なくして失敗はないんですから。そういう意味ではいつでも綱渡りの状態です。

 

だから理想のバイヤーってのはなれるかどうか分かりませんが、「自分が感動したものを感動した分だけ買う。」バイヤー。売れる売れないは別にして、自分が売りたいもの、自分が感動したまま、“「3」感動”なのか“「10」感動”なのか分かりませんが、3であれば3ピース、10であれば10ピースというように自分の思いときっちりリンクしてバイイングできるバイヤーが一番幸せなんじゃないですかね。

 

天 なるほどね~

 

泉 それを作るために日夜努力してるんだと思うんです。売り場との相互協力ですよ。売り場はバイヤーが感動した分だけ数字として入っているわけですから。だからそこの部分をいつも話をしながら売っていくというのが大事なんじゃないでしょうか。

 

 

DESPERADO店内の様子

 

 

 

<あとがき>
泉さんの圧倒的なパワーに聴衆全員が引き込まれ、また心に響く言葉がたくさんありました。ファッション業界関係者だけでなく、全ての人が自分に置き換えて日々の仕事に向き合えるきっかけになったのではないでしょうか。

白熱した質疑応答はこちらに載せきれませんでした。

是非シゴトバCAMPUSにお越しください。泉流で言えば、自分の足で歩き、生でしか味わえない感動がシゴトバCAMPUSにはあります。

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